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再起動に向けて
倉敷に向かっています
みやび矯正歯科医院 の打ち合わせや
決裁関係が待ったなしの状況ですので
子供たちの
将来のためにも 再起動しなければ なりません
季子 をどうするか 一緒に倉敷に向かうか
悩みました
子供たちを連れて 季子の遺骨を抱えて 新幹線で
移動するのは無理です
車は 倉敷に置いて来てしまいましたので…
かといって 自宅に 独り..
というのも 余りにも可哀想で…
悩みました
葬儀の時に お経をあげて 引導を渡して頂きました
住職さんにご相談に伺いました
奥様と一緒に悩んでいることを聞いて頂き
“旅行に連れていっても 悪いことはないよ
全く 問題ないよ
でも 現実的には車での移動じゃないと無理だと思うな…
仕事をされている方のなかには 四十九日 前でも
出張で暫く家を空けざるを得ない人もたくさんいるよ
ご自宅に置いて行かれるのも 悪いことじゃないよ
決して 悪くないよ
ただ 気持ちの面でね 仏さんに寂しい思いをさせてしまう
という 気持ちだろうね”
優しくお話頂きました ありがとうございました
そして 一呼吸置いて 住職さんは
“うちでお預かりして
その間 お線香とかお経とか そんなに頻繁にはできないけど
毎日 何回かでも 良ければ
うちで 大事に 間違いの無いように お預かりしますよ”
と 言って頂けました
大変驚いたのと 大変嬉しかった です
子供たちと 相談して お願いすることにしました
昨日の夕方 朋宏 と 爽介 を連れて
遺骨と位牌を 持って お寺に 伺いました
本堂に安置して頂き
丁寧に お経をあげて頂きました
子供たちが 幼稚園で貰ってきた千歳飴も お供えしました
“今は難しと思うけど 奥さんも 皆が楽しく暮らすことを
望んでいるよ”
子供たちにも
“ママの姿は見えなくなったけど いつも近くにいるよ
お空から 見てくれているからね”
とお話頂きました
「行ってくるね」 そう言ってお寺を後にしました
「行ってらっしゃい」 と言ってくれたよね
投稿日 : 2014年11月15日(土)
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僕の精神安定剤は
葬儀関係の片付けが一段落しました
役所の手続きは しなければならないのですが
文字通り 足が向きません・・
近寄れないのです
自分自身はもう少し 冷静な人間だと思っていたのです
それは それとして 行動できる人間だと思っていました
こんなに感情に振り回されない人間だと思っていました
家族連れを見ると 涙を堪えるのが精一杯です
自宅にいると 時々弔問の方が訪ねて来られます
年代も 属性も 全く様々ですが 季子 がその方の
思い出の一部となっていること その方の人生に影響を与えたということを
聴くと 嬉しくて 嬉しくて 心が救われるようで 誇らしいです
弔問の方かなと思って ドアを開けると
墓石や 仏具 のセールスの方の訪問を受けました
ポストの中にも墓石 仏具 法要の ダイレクトメールがいっぱい入っていました
機械的に喋る その生臭い 吐息
同情を装う 上目使いの 蜥蜴のような眼
申し訳ないけれど 嫌悪感しか感じません
堪えますね
本当に 堪えます
今の精神安定は 長男です
葬儀でも火葬場でも
長男には 頑張らせ過ぎました 申し訳ないことをしました
出棺の時も 火葬の時も 収骨の時も
呼んでしまいました
残酷なことをしてしまったのかもしれません
彼が傍にいないと 彼の体に触れていないと
僕が 耐えられませんでした
情けないな と
時間はかかりそうですが
少しずつ前を向きます 急には向けませんから
遠方から 駆けつけてきて
何も言わずに 抱きしめてくれた 友人や先輩 たち
10年前に交通事故で 奥様を亡くされた 同級生
学生時代は 喋った記憶も無かった 同級生でしたが
他人事とは思えなかったから 来たよ と
大丈夫 子供たちは間違いなく大丈夫だから
間違いなく 立派に育つから 絶対大丈夫だから
絶対に 何とかなるから
と 真っ赤な目で 語りかけてくれて
力強い握手を頂きました
心に熱いものが入ってきました
今日も 傍に長男を抱き寄せて寝ます
情けないですが
少しずつ 少しずつ 前を向けるように
何が言いたいのか分からない 乱文となってしまいました
ご容赦下さい
投稿日 : 2014年11月11日(火)
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沈んでもなお 僕を照らしてくれる貴女
火葬が終わって
斎場への帰り道
太陽が沈んで行くのを バスの窓から 眺めていました
季子が 消えて行く
まるで 黄泉の世界へ 太陽が沈んで行く ように感じました
消えないで・・・
美しい夕日でした
今まで 季子と眺めた 美しい夕日
覚悟はしていたけれど
一人で夕日を眺めることになるとは
本当に美しい夕日でした
友人が 火葬からの帰路で撮った写真を送ってくれました
ありがとう ありがとう
斎場についた頃には 夜の帳が下りていました
黄泉の世界です
最後の最後まで お世話頂いた方
季子の 見送りをして頂いた方
皆様を お見送りして 自宅へ帰ろうとしていた時
一度帰られた方が 戻ってこられました
何だろう と思っていると
走って 息を切らせながら 駆け寄って来られて
「外! 外に! 」
外に出てみると
「満月だよ! 季子ちゃんが! 季子ちゃんが!! 月を(僕を指さしながら) 月を照らしてくれているんだよ!!」
その時 友人からもメールが来ました
”マッさん!月、みて下さい!!”
”トシコさん(太陽)がマッさん(月)を照らしてますよ~~”
見上げると 本当に綺麗な 綺麗な 満月でした
太陽が沈んでなお 夜空で月を 照らしている
みんなで暫く お月見をしました
さすがだなあ 貴女は
貴女は 沈んでもなお月を照らしてくれていますね
ありがとう みんな 本当にありがとう
投稿日 : 2014年11月09日(日)
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本当にありがとうございました
昨日 本日はお忙しい中 遠方より遥々
妻 季子の通夜 告別式に お集まり頂きまして
また 本当に沢山の お花 弔電 などを頂き 誠にありがとうございました
季子 が沢山の方に囲まれて 旅立てること 本当に嬉しく思います
季子 と出会って16年 結婚して今年で10年目でした
性格は全く違っていて よく衝突しましました
季子は 白黒をはっきりとつけたがり 私は曖昧に
全く正反対の夫婦でした
しかし 美術や音楽 自然 写真 などの感性は不思議と一致していました
よく美術館を巡ったり 音楽を聴いたり 景色を見に遠出したり
一緒に 美しいもの 心地良いもの 綺麗な音 などを共感できる唯一無二の存在でした
季子は 周りを明るく照らす 太陽のような存在でした
私は 彼女に照らされて輝く月のような存在でした
本当に 自分を犠牲にしてまで
朋宏と爽介のため 家族のため 親戚のため 友人のため 患者さんのため
生徒さんのため 地域のために 活動していました
本当に 貴方は立派でした
朋宏と爽介に貴方のことを聴かれたら 「ママは立派な人だったんだよ」 とお話ししてあげます
でもね 本当はね そんなに立派でなくても良いから
普通の母親で良いから もう少し 僕の隣に 朋宏や爽介の傍に 家族の中にいて欲しかったです
せめて もう少しでも あと少しでも 朋宏 爽介の成長を一緒に見て欲しかった
病院を抜け出て 気球に乗りましたね
「どうしても家族4人で気球に乗りたい」 貴女の願いでした
無理をして 行きましたね
「明日死んでも 後悔はしない」
家族で気球に乗ったことが 最期の思い出となってしまいましたが
子供たちと気球をみるたび 空を見上げるたび
季子 のことを思い出せます
貴女は最期まで母として振る舞ったのですね
思い出を遺してくれてありがとう
「命よりも大切なものがある それは 生き様であり 死に様」
よく貴女が キャンサーフォーラムなどの がん患者さんの集まりで
話していましたね
それは僕たちに共通する死生観でした こんなところも感性が一致していましたね
貴女は自分の葬儀に関しても決めていましたね
「ウエディングドレスを着たい」 季子の願いでしたね
望み通りウエディングドレスを着させてもらいました
私は貴女の死に目には会えなかったのですが 不思議と後悔はありません
貴女の意識が私の中へ入ってくるのが分かります
「私に何があっても打ち合わせをしてね」 貴女は言いましたね
僕は貴女のように強くありません 僕は弱い人間です
貴方の死に様 見届けました 本当に立派でした
お疲れ様でした お疲れ様でした
ありがとう
本当にありがとう
貴方が遺してくれた宝物 本当に大事な大事な宝物
朋宏と爽介は 立派に育て上げて見せます
空の上から 見ていてください
気球に乗っているのかな
いずれ 僕もこの世での役目を終えたら 貴方に会いに行きます
その時まで暫しのお別れです
本当にありがとうございました
今まで 本当に たくさんの愛情を 溢れんばかりの愛情を
季子に頂き 本当にありがとうございました
御礼申し上げます 本当にありがとうございました
夫 中塚 雅行
投稿日 : 2014年11月07日(金)
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空を見上げる度に
気球に乗った写真を絵に画いていただきました
医院の看板のイラストをお願いするためにたまたま
気球の写真をお送りしていたのですが・・
昨日自宅へ届きました
ありがとうございます
季子の枕元の 彼女が見られる位置に飾らせて頂きました
最期の思い出となってしまいましたが
子供たちと気球をみるたび
空を見上げるたび
季子のことを思い出せます
貴方は最後まで母として振る舞ったのですね
ありがとう
本当にありがとう
思い出を遺してくれて 本当にありがとう
長男は昨日幼稚園の行事に参加しました
長男に一応確認してみましたとこと
「白虎隊を踊りたい」 と
ママに見せたいの?
「そうだよ」 「見ててくれるかな?」
参加することにしました
サポートしていただいた方々に感謝いたします
投稿日 : 2014年11月04日(火)
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お知らせ致します
妻 季子 の通夜 葬儀の日程が決まりましたのでお知らせいたします
お待たせしまして 申し訳ありませんでした
中塚 季子 (なかつか としこ)
生年月日 昭和50年1月27日
没年月日 平成26年11月2日
行年40歳
喪 主 中塚 雅行 (なかつか まさゆき)
963-8041 郡山市富田町字鶴蒔田1-63
日 程
11月6日 木曜
納 棺 15:00 於 自宅
通夜式 18:00 於 ファミーユ静御前通り
11月7日 金曜
告別式 11時30分 於 ファミーユ静御前
三日七日法要 告別式後 於 ファミーユ静御前
出 棺 13時30分 於 ファミーユ静御前
火 葬 14時45分 於 東山悠苑(火葬場)
精進揚あげ 16時30分頃 ファミーユ静御前
ファミーユ静御前
福島県郡山市大槻町針生北86-1
024-954-8444
東山悠苑
郡山市田村町小川字石渕130
024-955-4277
以上です
投稿日 : 2014年11月04日(火)
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ご連絡
通夜 葬儀の日程につきまして
数多くのお問い合わせを頂きました
実家(倉敷市)と距離がありますため
菩提寺との調整など
時間が掛かっております
季子 が20年過ごした郡山市で
季子の大好きな土地 郡山で
葬儀 火葬 まで行います
現在 決定事項はこれだけです
季子は自宅に戻り子供たちの声と
お気に入りの大好きな音楽に囲まれて休んでいます
これも季子が自宅でゆっくりしたいと
望んだ 必然 なのかなと思っています
日程につきましての個別連絡は漏れや
ミスが生じる恐れがありますので
決定次第
本ブログにて告知いたします
ありがとうございました
投稿日 : 2014年11月02日(日)
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どうか、苦しみのない世界へ
妻 季子が
今朝 亡くなりました
10:30です
季子は4年半前に乳がんを患いました
乳がんになった後は
歯科医師としての仕事から距離を置き
朋宏と爽介の子育て
食事療法を中心とした
治療で 元気に活動していました
がん患者さんの集いをサポートしたり
困難な状況にあるがん患者さんの為に
季子は持ち前の明るさと頑張りで活動していました
克服したかに 思われました
乳がんになってから毎年 お伊勢参り 冬はスキー 2年前には 長男と2人で小笠原諸島に旅行 しました
家族で 密度の濃い時間を過ごしました
体調に変化があったのは今年の春でした
強いストレスをきっかけとして 舌の痺れが出現しました
帯状疱疹だと判明するまで 時間がかかりました
時間が経っていたため 抗ウイルス薬は あまり効果的ではありませんでした
夏に肺炎を患いましたが 克服して元気になり 舌の麻痺も徐々に改善して来ました
10月になり 突然激しい頭頚部の痛みが出現 舌の麻痺が再び酷くなりました
液体しか飲み込めず
声帯が麻痺して
体重が目に見えて落ちて行きました
それからは筆談でした
脳頭蓋底の腫瘍が判明
腫瘍が延髄 を圧迫し
頚椎を吸収していました
完治の可能性はありませんが 痛みの緩和を目的に放射線治療を10月16日から入院して開始
痛みの緩和のために 麻薬系の鎮痛剤を使いながら 過ごしました
季子は放射線治療を受ける事に抵抗がありましたが
少しでも子どもたちのために 時間が欲しかったのです
しかしながら
本当に 季子のためになっていたのか
却って 季子に惨い事を強いて しまったのか
望み通り 何もしなかった方が 季子は幸せだったのか
僕には分かりません
最期の思い出は
病院から一時帰宅して行った
バルーンフェスティバルでした
病院から止められましたが 「明日死んでも後悔しない」と言われ
家族4人で
熱気球の体験搭乗をしました
4月から 倉敷に引っ越し予定で 次男の入園手続きのため
知らせを聞いたのは倉敷でした
最期まで
意識ははっきりとあり
今朝の2時に 季子から
だいすき
ごめんなさい
ゆっくり帰っておいで
というメールを受信しました
それが 季子からの最期の言葉となりました
季子は悟っていたのでしょう
今まで
たくさんの愛情を
季子に頂き
本当にありがとうございました
ありがとうございました
投稿日 : 2014年11月02日(日)
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