倉敷市の矯正歯科専門/インビザライン

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4年も経ったのですね 回想記

あの日から4年も経ったとは…
実感が湧きません
朋宏は2歳10か月 爽介は11か月でした
午後イチの患者さんの診療中でした
前日も 前々日も地震がありましたので 最近よく揺れるなあ… って位の感じでした
最初は小さな揺れでしたが次第に大きくなりました
30秒位で一旦収まったので 患者さんと顔を見合わせ苦笑いをしました
次の瞬間 激しい揺れが襲ってきました
患者さんをイスから下ろして 3人で机の脚にしがみつきました
ふと外を見ると 晴れていた筈なのに 激しい吹雪!
固いはずの電柱が釣竿のようにしなり 電線が鞭のように空を切り裂いていました
そして 停電…
模型が棚からバリバリ音をたてて落下し カルテが飛び交いました
他のスタッフに ガラスから離れろ! 上を見るな! と叫びました
全ての物が落下し尽くすまで 4分位揺れが続きました
永遠に感じられた揺れが収まったとき
部屋の端にあったテーブルは3人をしがみつかせたまま 部屋の真ん中まで移動していましいた
揺れが止まると同時に吹雪は収まり また空は晴れ上がりました
まず考えたのは保育所にいる息子達の事でした
直ぐに電話を掛けて子供たちの無事と施設の無事を確認して安堵しました
電話が繋がったのは振り帰ると奇跡でした
その後の連絡は倉敷の実家を経由して
僕 → 倉敷の実家 → 郡山の連絡先 といった感じで連絡を取り合いました
医院の片付けをしていると
大津波警報が発令 TVを点けると まさに仙台空港が津波に呑まれて行くその瞬間でした!
あまりの現実感の無さ… 逃げ回る車が次々に津波に呑まれていく
現実感の無さを感じつつも 震えが止まらなくなりました
妻の指示でガソリンを満タンにして(これが大正解!!)
夕方 帰宅してガラスの破片だらけの自宅でも片付け…
自宅はライフラインが全て無事だったので不安ながらも平和な夜を過ごしました
夜が明けた12日 原発が不穏な事になっていました
全交流電源喪失 チェルノブイリの3歩手前 とは思いましたが
まさか 何も起きないだろうとも思いました
郡山駐屯地に繋がる道路は行き交う自衛隊さんの車両で混雑していて
あぁ 日本は非常事態なんだなあ と実感させられました
実際 火事場泥棒的に ロシアや中国からの戦闘機や爆撃機の領空侵犯を目的とした偵察もあり
空自はスクランブルで大変だったみたいですね
12日の午後 福島第一原発1号機が爆発!
またもや 白昼夢を見ているような 現実感の無さ
夕刻 ママ友の家族が自宅へ 今後 何時何処に避難するのか対応を話し合いました
一晩中TVを付けっぱなしにして寝られない夜を過ごしました
14日 福島第一原発3号機が爆発!
子供たちと妻を会津の友人宅に避難さることを決意 送って行きました
最終的には実家の倉敷まで北陸道をひた走り避難させました
1000kmを1日で走り切ったのは最初で最後でした
道中 子連れで福島からだと分かると 本当に様々な方に親切にしていただきました
ありがとうございました
この4年間 福島は ずっと目に見えないモノと戦っていました
この戦いで疲弊して 離散した家族 コミュニティを数多く目の当たりしました
この世の理不尽を絵にかいたような状況です
まだまだ終わりのない 戦いは続いています
本当に許せません 神をも恐れぬ大罪です
全ての方に暖かい春が訪れますように
第2の故郷 福島の 郡山の 幸せを祈念致します


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