倉敷市の矯正歯科専門/インビザライン

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院長のブログ – みやびな世界 –

区切りを付けました

役所に行ってきました
ようやく 足を運びました
本籍地は倉敷にありますので 
支所まで 手続きに必要な 戸籍謄本を取りに行きました
そこには 僕の枠内に
婚姻日 平成19年9月21日
配偶者氏名 ・・・・・・
など・・ 季子との記録が記載されていました
最期に
配偶者の死亡 「配偶者の死亡日」平成26年11月2日
と記載され枠が閉じられていました
季子の 枠内にも 僕との婚姻
そして 死亡した日時 場所が記載されていました
季子 が除籍 となっていました
見つめるのが 苦しいですね でも ようやく認めることが出来たのかな・・・と思いました
季子 といた事実というのは戸籍には永久に残るとのこと
ほっとしました
紙の上の事かもしれませんが それだけでも 季子の存在を
感じられて 嬉しいです
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役所から戻ると・・・
季子の存在を大いに感じさせる 彼が
一生懸命 照明器具を 組み立てていました
「後ろに見本があるから まだ簡単なんだよね~」
頼りにしてますよ


雪崩のような 打ち合わせ

15日 倉敷に到着して
1時間後には”みやび矯正歯科医院”の現場での打ち合わせでした
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待ったなしで決めなければ先に進めない事柄が
雪崩のように押し寄せてきました
僕がいなくても出来る所だけ優先して進めていただいていた
現場の方に感謝です
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医院の中央付近の鉄骨をアクセントで黄緑に塗ってもらいました
依頼して 初めて見ましたが 
いい感じです!
世界観が出てきましたね
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2階のスタッフさんのための休憩室の間仕切りです
広いです・・・
何人で使うのでしょうか・・・
贅沢な広さですね
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配電盤です
カバーが掛けられてブレーカースイッチ本体しか見えないのに・・・
隠れる所まで綺麗な配線です
まさに”神は細部に宿る”といった感じですね
職人さんの心意気を感じました
15時から4時間くらい続きました
疲れましたが 日常を忘れる貴重な時間でした


天命を全うします 

打ち合わせなど夢中になっている時
子供たちを追い掛け回しているときなどは
 現実を忘れます
正直 心がものすごく楽になります
色々な方に 心配して頂いて
僕は本当に恵まれているのだなと 感謝します
なぜ 皆から愛されていた彼女が 早く逝き
なぜ 僕が生かされているのかは解りません
ただ これは何らかの意図があっての事だと受け止めます
彼女が見られなかった景色を見て
彼女が聞けなかった音を聴いて
彼女ができなかったことをして
天命を全うしようと思いました
それが 彼女の供養になるのかなと思いました
ぽちぽちと 更新して行きます
何かをしていると気が紛れます
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彼らがいてくれて本当に良かった
僕を助けてくれる 大事な大事な宝物です
親が子供を育てる・・・ とんでもない
子供が 僕を親に育ててくれているのです


再起動に向けて

倉敷に向かっています
みやび矯正歯科医院 の打ち合わせや
決裁関係が待ったなしの状況ですので
子供たちの
将来のためにも 再起動しなければ なりません
季子 をどうするか 一緒に倉敷に向かうか
悩みました
子供たちを連れて 季子の遺骨を抱えて 新幹線で
移動するのは無理です
車は 倉敷に置いて来てしまいましたので…
かといって 自宅に 独り..
というのも 余りにも可哀想で…
悩みました
葬儀の時に お経をあげて 引導を渡して頂きました
住職さんにご相談に伺いました
奥様と一緒に悩んでいることを聞いて頂き
“旅行に連れていっても 悪いことはないよ
全く 問題ないよ
でも 現実的には車での移動じゃないと無理だと思うな…
仕事をされている方のなかには 四十九日 前でも
出張で暫く家を空けざるを得ない人もたくさんいるよ
ご自宅に置いて行かれるのも 悪いことじゃないよ
決して 悪くないよ
ただ 気持ちの面でね 仏さんに寂しい思いをさせてしまう
という 気持ちだろうね”
優しくお話頂きました ありがとうございました
そして 一呼吸置いて 住職さんは
“うちでお預かりして
その間 お線香とかお経とか そんなに頻繁にはできないけど
毎日 何回かでも 良ければ
うちで 大事に 間違いの無いように お預かりしますよ”
と 言って頂けました
大変驚いたのと 大変嬉しかった です
子供たちと 相談して お願いすることにしました
昨日の夕方 朋宏 と 爽介 を連れて
遺骨と位牌を 持って お寺に 伺いました
本堂に安置して頂き
丁寧に お経をあげて頂きました
子供たちが 幼稚園で貰ってきた千歳飴も お供えしました
“今は難しと思うけど 奥さんも 皆が楽しく暮らすことを
望んでいるよ”
子供たちにも
“ママの姿は見えなくなったけど いつも近くにいるよ
お空から 見てくれているからね”
とお話頂きました
「行ってくるね」 そう言ってお寺を後にしました
「行ってらっしゃい」 と言ってくれたよね
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僕の精神安定剤は

葬儀関係の片付けが一段落しました
役所の手続きは しなければならないのですが
文字通り 足が向きません・・
近寄れないのです
自分自身はもう少し 冷静な人間だと思っていたのです
それは それとして 行動できる人間だと思っていました
こんなに感情に振り回されない人間だと思っていました
家族連れを見ると 涙を堪えるのが精一杯です
自宅にいると 時々弔問の方が訪ねて来られます
年代も 属性も 全く様々ですが 季子 がその方の
思い出の一部となっていること その方の人生に影響を与えたということを
聴くと 嬉しくて 嬉しくて 心が救われるようで  誇らしいです
弔問の方かなと思って ドアを開けると
墓石や 仏具 のセールスの方の訪問を受けました
ポストの中にも墓石 仏具 法要の ダイレクトメールがいっぱい入っていました
機械的に喋る その生臭い 吐息 
同情を装う 上目使いの 蜥蜴のような眼
申し訳ないけれど 嫌悪感しか感じません
堪えますね 
本当に 堪えます
今の精神安定は 長男です
葬儀でも火葬場でも 
長男には 頑張らせ過ぎました 申し訳ないことをしました
出棺の時も 火葬の時も 収骨の時も
呼んでしまいました
残酷なことをしてしまったのかもしれません
彼が傍にいないと 彼の体に触れていないと
僕が 耐えられませんでした
情けないな と
時間はかかりそうですが
少しずつ前を向きます 急には向けませんから
遠方から 駆けつけてきて 
何も言わずに 抱きしめてくれた 友人や先輩 たち
10年前に交通事故で 奥様を亡くされた 同級生
学生時代は 喋った記憶も無かった 同級生でしたが
他人事とは思えなかったから 来たよ と
大丈夫 子供たちは間違いなく大丈夫だから
間違いなく 立派に育つから 絶対大丈夫だから
絶対に 何とかなるから
と 真っ赤な目で 語りかけてくれて
力強い握手を頂きました 
心に熱いものが入ってきました
今日も 傍に長男を抱き寄せて寝ます
情けないですが 
少しずつ 少しずつ 前を向けるように
何が言いたいのか分からない 乱文となってしまいました 
ご容赦下さい


沈んでもなお  僕を照らしてくれる貴女

火葬が終わって 
斎場への帰り道 
太陽が沈んで行くのを バスの窓から 眺めていました
季子が 消えて行く 
まるで 黄泉の世界へ 太陽が沈んで行く ように感じました
消えないで・・・
美しい夕日でした 
今まで 季子と眺めた 美しい夕日 
覚悟はしていたけれど 
一人で夕日を眺めることになるとは
本当に美しい夕日でした
火葬からの帰路でみた夕日
友人が 火葬からの帰路で撮った写真を送ってくれました
ありがとう ありがとう
斎場についた頃には 夜の帳が下りていました
黄泉の世界です
最後の最後まで お世話頂いた方 
季子の 見送りをして頂いた方
皆様を お見送りして 自宅へ帰ろうとしていた時
一度帰られた方が 戻ってこられました
何だろう と思っていると
走って 息を切らせながら 駆け寄って来られて
「外! 外に! 」
外に出てみると
「満月だよ! 季子ちゃんが! 季子ちゃんが!! 月を(僕を指さしながら) 月を照らしてくれているんだよ!!」 
2014 11/7 満月
その時 友人からもメールが来ました
”マッさん!月、みて下さい!!”
”トシコさん(太陽)がマッさん(月)を照らしてますよ~~”
見上げると 本当に綺麗な 綺麗な 満月でした
太陽が沈んでなお 夜空で月を 照らしている
みんなで暫く お月見をしました
さすがだなあ 貴女は 
貴女は 沈んでもなお月を照らしてくれていますね
ありがとう みんな 本当にありがとう


本当にありがとうございました 

昨日 本日はお忙しい中 遠方より遥々
妻 季子の通夜 告別式に お集まり頂きまして 
また 本当に沢山の お花 弔電 などを頂き 誠にありがとうございました
季子 が沢山の方に囲まれて 旅立てること 本当に嬉しく思います
季子 と出会って16年 結婚して今年で10年目でした
性格は全く違っていて よく衝突しましました
季子は 白黒をはっきりとつけたがり 私は曖昧に
全く正反対の夫婦でした
しかし 美術や音楽 自然 写真 などの感性は不思議と一致していました
よく美術館を巡ったり 音楽を聴いたり 景色を見に遠出したり
一緒に 美しいもの 心地良いもの 綺麗な音 などを共感できる唯一無二の存在でした
季子は 周りを明るく照らす 太陽のような存在でした
私は 彼女に照らされて輝く月のような存在でした
本当に 自分を犠牲にしてまで 
朋宏と爽介のため 家族のため 親戚のため 友人のため 患者さんのため 
生徒さんのため 地域のために 活動していました
本当に 貴方は立派でした
朋宏と爽介に貴方のことを聴かれたら 「ママは立派な人だったんだよ」 とお話ししてあげます
でもね 本当はね そんなに立派でなくても良いから 
普通の母親で良いから もう少し 僕の隣に 朋宏や爽介の傍に 家族の中にいて欲しかったです
せめて もう少しでも あと少しでも 朋宏 爽介の成長を一緒に見て欲しかった
病院を抜け出て 気球に乗りましたね
「どうしても家族4人で気球に乗りたい」 貴女の願いでした
無理をして 行きましたね 
「明日死んでも 後悔はしない」
家族で気球に乗ったことが 最期の思い出となってしまいましたが
子供たちと気球をみるたび 空を見上げるたび
季子 のことを思い出せます
貴女は最期まで母として振る舞ったのですね
思い出を遺してくれてありがとう
「命よりも大切なものがある それは 生き様であり 死に様」 
よく貴女が キャンサーフォーラムなどの がん患者さんの集まりで
話していましたね
それは僕たちに共通する死生観でした こんなところも感性が一致していましたね
貴女は自分の葬儀に関しても決めていましたね
「ウエディングドレスを着たい」 季子の願いでしたね
望み通りウエディングドレスを着させてもらいました
私は貴女の死に目には会えなかったのですが 不思議と後悔はありません
貴女の意識が私の中へ入ってくるのが分かります
「私に何があっても打ち合わせをしてね」 貴女は言いましたね
僕は貴女のように強くありません 僕は弱い人間です
貴方の死に様 見届けました 本当に立派でした
お疲れ様でした お疲れ様でした
ありがとう
本当にありがとう
貴方が遺してくれた宝物 本当に大事な大事な宝物 
朋宏と爽介は 立派に育て上げて見せます
空の上から 見ていてください
気球に乗っているのかな
いずれ 僕もこの世での役目を終えたら 貴方に会いに行きます 
その時まで暫しのお別れです
本当にありがとうございました
今まで 本当に たくさんの愛情を 溢れんばかりの愛情を
季子に頂き 本当にありがとうございました
御礼申し上げます 本当にありがとうございました
夫 中塚 雅行
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空を見上げる度に

気球に乗った写真を絵に画いていただきました
医院の看板のイラストをお願いするためにたまたま
気球の写真をお送りしていたのですが・・
昨日自宅へ届きました
ありがとうございます
季子の枕元の 彼女が見られる位置に飾らせて頂きました
気球の絵画
最期の思い出となってしまいましたが
子供たちと気球をみるたび
空を見上げるたび
季子のことを思い出せます
貴方は最後まで母として振る舞ったのですね
ありがとう
本当にありがとう
思い出を遺してくれて 本当にありがとう
白虎隊
長男は昨日幼稚園の行事に参加しました
長男に一応確認してみましたとこと
「白虎隊を踊りたい」 と
ママに見せたいの?
「そうだよ」 「見ててくれるかな?」
参加することにしました
サポートしていただいた方々に感謝いたします